OyakuniTateba blog

現役 人事マネージャーから あなたに伝えたいこと

人と違うは間違いじゃない レオ・レオーニの絵本

f:id:JunKawamata:20180924171125j:plain

今日は大阪府伊丹市にある、伊丹市立美術館で開催中の「みんなのレオ・レオーニ展」最終日に行ってきました。小さな魚が集まって大きな魚のシルエットを作って大きな魚を追い出してしまう「スイミー」。可愛いネズミの「フレデリック」など、あなたも一度は読んだことがあるのではないでしょうか。

レオ・レオーニの絵本については、たくさんの情報がありますので、興味のある方は是非、そちらを見てください。

 

f:id:JunKawamata:20180924180815j:plain

レオ・レオーニは、1910年にオランダで生まれ、青春時代をイタリアで過ごしました。レオーニの人となりに触れるには、この1910年代からまでの時代に触れないといけません。1914年には第一次世界大戦が勃発し、戦争は世界を巻き込んだ長期戦へと入っていきます。そして1919年ヴェルサイユ条約により終戦。その後、1917年に参戦したアメリカの羽繁栄と莫大な賠償を課せられたドイツの没落とナチズムの台頭。そして1939年に第二次世界大戦の勃発。

彼は、1939年第二次大戦勃発とともにアメリカに亡命します。当時のアメリカはたくさんの移民が押し寄せ人種の坩堝と化していました。そこで彼は広告代理店に就職し、グラフィックデザイナーとして活躍します。そして49歳の時に、孫のために作った「あおいろくんときいろくん」で絵本作家としてデビューします。

順風漫歩の中、1962年、すべてをアメリカに置いて、イタリアに戻ります。

ここで、知っておかないといけないことは、彼がユダヤ人であるということ。ユダヤ人の歴史は「差別と迫害の歴史」と言われている。(ちょっと語弊のある言い方かもしれないが)彼は自分はユダヤ人に生まれたことをどう思ったのだろう。才能溢れる若者が、ユダヤ人というだけで差別されることにどう思っただろう。そして、アメリカに行き、努力と実力で誰もが成功するチャンスがあることを証明した彼はイタリアに戻るのである。

 

f:id:JunKawamata:20180924191033j:plain

 そして、イタリアに戻った翌年の1963年「スイミー」を発表。それは、たくさんの兄弟がみんな赤い魚だったのに、一人真っ黒だった魚スイミーのお話し。兄弟を大きな魚にみんな食べられちゃった喪失。そして旅で出会う様々な出来事。

f:id:JunKawamata:20180924192242j:plain

そして再び出会った赤い魚たちと一緒に大きな魚に立ち向かうお話し。

f:id:JunKawamata:20180924192220j:plain

レオーニはアメリカで得たものを、祖国イタリアに返したかったのではないだろうかと想像してしまう。自分にしかできないことがあるはず。そんな自分の生き方をスイミーを通して語っているように思えます。物語の中で、スイミーは、大きな魚を追い出すために、考えます。もっと考えます。答えがでるまで考えます。そこには、自分の大きさも人種も関係ありません。ただ、自分の実力のみです。

そしてその4年後、「フレデリック」を発表。

f:id:JunKawamata:20180924192147j:plain

実を言うと、ちょっと読むと、これはアカンやつやろ、と思ってしまう ちいさなねずみのフレデリック。日本訳(谷川俊太郎訳版)では、副題に「ちょっと かわった のねずみの はなし」とあります。いや、読み終わったあとでも、こいちはあかんやつらろ、と思ってしまう 笑 

でも、レオーニの人生を思って読むと、違う世界が見えてきます。ユダヤ人というだけで、差別され迫害された時代。違うというだけで、間違いだと断じられる人生。そんな、彼はこの物語を通じて語ります。

人と違うということは、間違いということじゃないんだよ。

 

レオ・レオーニをもっと知ろう

レオ・レオニズ・フレンズ

www.leolionni.jp

絵本さんぽ

ehonsanpo.com

絵本さんぽ

ehonsanpo.com

 

 

ちなみに、これを書いているのは最終日。残念ながら、伊丹市立美術館での開催は今日まででした。スイミーの原画や、フレデリックに会えました。アニメも制作されていて、地下の展示室では小さな子供たちが歓声をあげていました。

これは今日のおみやげ グッズコーナーでフレデリックのマグといつものようにポストカード買っちゃった 笑

f:id:JunKawamata:20180924193640j:plain